重陽の節句

重陽の節句

9月9日は重陽の節句です。ご存知ない方も多いかもしれませんが、中国では奇数は縁起のよい陽の数とされ、一番大きな陽の数である9が重なる9月9日をおめでたい「重陽の節句」としていました。
 1月7日の人日(じんじつ)の節句(七草)、3月3日の上巳の節句(桃の節句)、5月5日の端午の節句(菖蒲の節句)、7月7日の七夕(竹の節句)に続く5番目の節句がこの重陽の節句です。いずれも中国から伝わった行事が日本の生活文化や風習に合わせてアレンジされ、江戸時代に幕府がこの5つを「節句」として公的に定めました。
 古代中国では、この日に香りの強い木の実を身に付けて山に登り、菊の花びらを浮かべたキク酒を酌み交わし、長寿と無病息災を願う風習がありました。キクは不老長寿の霊草と信じられていたのです。    
 それが日本に伝わると、平安時代には重陽節として宮中の大切な行事の一つとなりました。平安時代初期に天皇が中国の風習に倣い、宴を開いたり、菊の花を眺め、菊酒(菊の花を浮かべた酒)を飲んだり、詩を詠んだり(菊合わせ)して楽しみました。菊酒は、菊の花には不老長寿の力があるとされ、長寿を願うために飲んだようです。一緒に栗ご飯を食べる習慣があったことから、「栗の節句」と呼ばれることもあります。
 キクは奈良時代に中国からもたらされ、後鳥羽上皇がこよなく愛したために、以来皇室の紋章にも使われています。皇族に限らずキクをデザインした家紋は164点あり(うち15点が皇族関係)、家紋にデザインされた植物の中で最も多くなっています。お気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、50円玉に描かれているのもキクの花です。今では日本人の花として私たちの生活には馴染み深い花ですが、渡来当時、人々は珍しくて美しいキクの花に夢中でした。
 以降、キクはどの時代でも大変な人気で、とりわけ江戸時代においては品種改良が一気に進み、『花壇地錦抄』(1695年)という園芸書には251品種のキクが記載されているほどです。江戸時代には庶民の間にも菊酒を飲む風習が広がり、平安時代の雅な宴とは異なり、持ち寄ったキクの優劣を競ったりもしたようです。菊で人形を飾る菊人形作りなども行われるようになり、名所の巣鴨、駒込、染井辺りでは多くの客で賑わったそうです。現在でも9月9日に限らず、菊人形展や品評会は各地で行われています。
 重陽の節句は9月9日であることから「重九(ちょうく)」 と呼ばれることもあります。またこの行事が宮中から民間に伝わると、「お九日(おくにち)」と呼び、秋の収穫祭と習合し祝うようになりました。「長崎おくんち」(10月7-9日)、「唐津おくんち」(11月2-4日)などもその一例です。
 このようにキクは日本文化に浸透したものの、重陽の節句の風習は明治以降急速に廃れていきました。5つの節句の中でも例外的といえるでしょう。なぜ廃れたのかは文化的なことなので察することしかできません。しかし、元々は旧暦の9月9日に行われた節句ですから、新暦でいうと10月に入ってからのことです。現在の9月9日にすると季咲きのキクを十分に楽しむのは、タイミングとして少し早いからかもしれません。
 ちなみに、江戸時代に育種されたキクを古典ギクといい、主に次の4系統に分けられます。
江戸菊・・・開花するに従い花びらがねじれ、動きを見せるものがあります。
嵯峨菊・・・糸のように細い花弁が特徴的。色とりどりで、咲く花も花火のようです。
伊勢菊・・・現在の三重県松阪で発達したキク。細く縮れた花が垂れ下がって咲きます。
肥後菊・・・熊本で作られたキクで、主に一重の花です。清楚なたたずまいがあります。
 
これらのうち切り花では嵯峨ギクの流通があります。また育種親として江戸菊を使う方もおり、まだまだ切花キクのバリエーションは増えそうです。ちなみに、キクの原産地は中国です。日本にも350種ほどの野菊が自生しています。生産に関しては、日本国内、また世界的に見ても切り花で最も多く生産されている品目です。花言葉は「高貴」。

重陽の節句にお勧めのキク

ピンポンマム
“アナスタシア”シリーズ
グリーンシャムロックなど

重陽の節句

2010年 大田市場花き部仲卸協同組合 青年部

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